かいらくん

腹側被蓋野ってドーパミンをいっぱいだすとこなんだって。
で、ドーパミンって「かいらくをうみだすしんけいでんたつぶっしつ」らしいんだ。


こんな実験もあって、まずマウスが自分でスイッチ押すと、腹側被蓋野に電気ながれるようにするんだ。
そすると、飲まず食わずでスイッチを押し続けるらしいよ。よっぽど気持ちいいんだろうね。
だからこんな商品考えてみたよ。


名づけて「かいらくん」。

注:画像とよだれはあくまでイメージです。


これなら法律に引っかからずに楽しめるよね。
これで犯罪も激減、winwinだよね。
って誰かが言ってました。

父親

今書いておくべきかなと思ったので書いておく。私の父親は父親か。


生物学的、法的な話ではどちらも真である(はずだ)が、そういった話ではない。


私が小学生のときの話。父は周りの大人にも好かれ、面白く、倫理観があり、頼りになり、なにより顔が端正である、私にとっては理想の人間だった。父は自分の会社経験に基づいた話をすることを好み、人間関係や、ものごとの考え方など、私が理解できなくても話してくれた。小学生のころからだ。
「おまえは頭がいいから話すんだぞ」と言ってくれてた。しかし、私が息子だったから特別に、というわけではなく、そういう話を聞かせること自体を好む人だったということが大きく作用していたのではないかと思っている。
そう思わざるを得ない断絶のようなものがあった。また話好きということは、そういったタイプの人間にありえる、人の話をあまり聞こう、理解しようとはしない人でもあった。小学生の私の拙い話が、父親の話と均衡をとれるはずもないのだからそれでよかった。


途中で父はいなくなってしまった。いなくなってしまったのは、家庭からであって、未だ、たまに会う。
家から追い出されたのは確か、高校生の時だったか。不思議と、その当時よく勃発したはずの夫婦ケンカ、確執がどういったものであったか思い出せない。
ここで言いたいのはつまり、数年間、これからもだが、父親は家庭で私を毎日見る機会をなくしてしまったということだ。これを、私は当時、育児放棄と捉えた。お金も納めるのをやめてしまったからだ。今では決定的な断絶だったなと捉えている。


ついこの間も、リストランテで父と夕食をとった。まあサービスでいえばファミレス程度だったが。
さておき、会話はあいも変わらず、父親によるほぼ一方的なものとなった。仕事の話だ。おもしろいことはおもしろい。しかし、小学生のときのような全能者に対面しているような感動はない。私もそれなりに成長しているのだから当たり前だろう。話が広がらない。私がたまに、父の話の間隙を縫って、今こう考えているがどう思うかと聞いても、その先がない。率直に言えば視野が狭いと感じた。仕事が忙しいと言っていたので、おそらく本も読んでないし、楽しみは食事と散歩くらいなのだろう。私の環境、学校であった話を聞きたいのかなと思って話してみたが、そうでもないようだ。しかし、自分の話はよくする。私のためを思って話してくれているようだが、聞く気にはなれなかった。ああ、父とは会話はできないのだなと思うと、さびしかった。
具体的な会話を書いていないので、理解していただけないかもしれないが、この人はもう父親ではないのだなと思った。


これは時間の断絶があったことを原因としているのかは、そうでない状況に立ったことのない私には分からない。
ただ単に、卑属の話を聞くことができない人であるだけかもしれない。また、父親は子どもの成長を認めたがらないという話を聞いたことがあるのでそれかもしれない。

だが、父が家庭を去ってしまったことを断絶と私は理解した。私の中の父が、小学生のころのイメージで固着していたように、父の中での私を、高校生、もしかすると小学生のころから全く変わらないものとして固着させてしまったではないかと結論づけた。そうすることにした。父親がいないという断絶は、可逆性のない隙間だ。その隙間のせいで、父親とは理解し会えないと結論づける、隙間に責任をなすりつけてしまう。隙間のせい。
これは自立なのだろうか。よく分からない。


幸せかって

フィギュア買ってみたんだけど

これ。こういうの始めて買ってみた。アマゾンでなんか買ってるときに「アマゾン限定」っての見て予約クリックしてたの忘れてた。
攻殻機動隊S.A.C. Solid State Society 草薙 素子 (1/8スケールPVC塗装済み完成品) amazon.co.jp 限定
これが5460円なのか、限定ってのもあるのか。写真と実物、全然違うね。そんなもん?
ふーん。まったく人形としての存在感がないな。存在感というか脅迫される感じが。フィギュアってそういうものなのかな。誰か教えて。サイズも十分に関係ありそうだけど。
目のプリントが記号性を増大させてて萎えちゃった。もともと萎えるまえすらないけど。記号以上の魅力を感じないんだよね。しかもこれプリント少しずれたらものすごく顔の印象変わるよね。きっと。アマゾンで買うのかなりギャンブルなんじゃないの。なんか匂うし。
まあ、もともとの記号が三次元的な記号になっただけというか。

心のなかに階級を

お金がある人間は、それに見合うだけのモラルの高さがあるという思い込みを、小学生くらいの時から持っていた。しかし、そうではないらしい。成金だからモラルが低い。そうではないらしい。そうではないらしいがなぜなのか理解できなかった。階層を階級としてとらえていたからだと思う。単純に貴族はモラルが高いと思い込んでいた。
外見は内面と釣り合ってなければならないと考えているからだと思う。それは以前にも書いた。この釣り合いとは僕に依るものなので、他人にとやかくは言わない。
父親はマナーやモラルにはかなりしっかりしており、それは周りの大人と比較すれば明らかだった。父を基準に見ると、おおくの大人の乖離した行為を理解できなく、苦しんだが、そんな美しい振る舞いの父はとても位の高い人なのだなと思ったし、あこがれた。モラルとは、よほどの根拠がない限り、他人に迷惑をかけない、傷つけない、そのために、他人への想像力を働かせることだと教わった。僕もお金持ちではなくとも、せめてモラルだけは高く保っていようと思った。
なぜモラルの低い人は、あえて美しくない振る舞いを選択するのか理解できない。モラルの低い人、を自然と醜い人として差別して、敬遠していた。モラルの低さに今でも怒りは湧くが、階級が低いからしょうがないと思うようになった。
僕は勉強不足で本当の階級を理解しているとはいえない。社会学の授業で階級とは文化の差異であると聞いたくらいだ。実際には階級が高い人のモラルは決して高くはなかったかもしれない。しかし、僕の思ってた、階級の高い人間の美しさは色あせない。心の中の秩序としての階級は高くありたいと思う。うまく言えないな。

岡田斗司夫のラジオ収録を見てきたよ


拡大地図を表示
話の内容はもちダイエット。やせてから娘の態度が激変したという話が印象に残った(笑)。
それよりも驚いたのが岡田さんの服装。色使いがキレイ。オータムカラー、トーンでいうとdullかな。くすんだ空色のシャツ、濃茶のパンツ、そしてからし色のマフラー。肌の色にもぴったり合って似合ってらっしゃいました。研究したんですね。
閑話休題。俺自身は体重が55kgなので、やせる必要はないんだけど、岡田さんが、太るのもやせるのもコントロールできるとおっしゃってて、少し努力して太ってみるか、と思いました。話を聞いてて、見ためが細すぎるってのも、それだけで損をしてるかもしれないと思ったからです。具体的にはカロリー増やしてみようかなと。運動して筋肉つけてもいいんだけど、筋肉偏重主義が嫌いなので考え中。
ただ、記録することは、減らしたいものを対象にしないと続かないって言ってたからな。
そうそう、コミュニケーションと恋愛ついては、聴いててウロコ。こりゃ岡田さんの著書全部読まないと。
来週あたりにはサイエンスサイトークのサイトにアップされてると思います。

仲の悪い両親に育てられた子どもについてもう少し考えてみたよ

つまり俺の話。仲の悪いことが子どもに決定的な影響を与えるとしたら、仲の悪いことによって、子どもに気がまわらなくなること。だけど、うちの家庭に関して言えば、そうでもなかった。各々、勝手に俺を育ててくれた。まあ両親がそろって、計画的に子どもをしつける家庭などそうそうないと思うので(勘だけど)、その点では仲のよい家庭とさほど変わらないと思ってる。
で、結論を言えば、子どもは親を相対的に評価できるようになれば環境がなんであろうと子育ては成功なのではないか。子どもは親の思想の奴隷なので、つまり親を相対化するということは自分の環境を相対化すること、すなわち自分を相対化することにつながると思う。