父親

今書いておくべきかなと思ったので書いておく。私の父親は父親か。


生物学的、法的な話ではどちらも真である(はずだ)が、そういった話ではない。


私が小学生のときの話。父は周りの大人にも好かれ、面白く、倫理観があり、頼りになり、なにより顔が端正である、私にとっては理想の人間だった。父は自分の会社経験に基づいた話をすることを好み、人間関係や、ものごとの考え方など、私が理解できなくても話してくれた。小学生のころからだ。
「おまえは頭がいいから話すんだぞ」と言ってくれてた。しかし、私が息子だったから特別に、というわけではなく、そういう話を聞かせること自体を好む人だったということが大きく作用していたのではないかと思っている。
そう思わざるを得ない断絶のようなものがあった。また話好きということは、そういったタイプの人間にありえる、人の話をあまり聞こう、理解しようとはしない人でもあった。小学生の私の拙い話が、父親の話と均衡をとれるはずもないのだからそれでよかった。


途中で父はいなくなってしまった。いなくなってしまったのは、家庭からであって、未だ、たまに会う。
家から追い出されたのは確か、高校生の時だったか。不思議と、その当時よく勃発したはずの夫婦ケンカ、確執がどういったものであったか思い出せない。
ここで言いたいのはつまり、数年間、これからもだが、父親は家庭で私を毎日見る機会をなくしてしまったということだ。これを、私は当時、育児放棄と捉えた。お金も納めるのをやめてしまったからだ。今では決定的な断絶だったなと捉えている。


ついこの間も、リストランテで父と夕食をとった。まあサービスでいえばファミレス程度だったが。
さておき、会話はあいも変わらず、父親によるほぼ一方的なものとなった。仕事の話だ。おもしろいことはおもしろい。しかし、小学生のときのような全能者に対面しているような感動はない。私もそれなりに成長しているのだから当たり前だろう。話が広がらない。私がたまに、父の話の間隙を縫って、今こう考えているがどう思うかと聞いても、その先がない。率直に言えば視野が狭いと感じた。仕事が忙しいと言っていたので、おそらく本も読んでないし、楽しみは食事と散歩くらいなのだろう。私の環境、学校であった話を聞きたいのかなと思って話してみたが、そうでもないようだ。しかし、自分の話はよくする。私のためを思って話してくれているようだが、聞く気にはなれなかった。ああ、父とは会話はできないのだなと思うと、さびしかった。
具体的な会話を書いていないので、理解していただけないかもしれないが、この人はもう父親ではないのだなと思った。


これは時間の断絶があったことを原因としているのかは、そうでない状況に立ったことのない私には分からない。
ただ単に、卑属の話を聞くことができない人であるだけかもしれない。また、父親は子どもの成長を認めたがらないという話を聞いたことがあるのでそれかもしれない。

だが、父が家庭を去ってしまったことを断絶と私は理解した。私の中の父が、小学生のころのイメージで固着していたように、父の中での私を、高校生、もしかすると小学生のころから全く変わらないものとして固着させてしまったではないかと結論づけた。そうすることにした。父親がいないという断絶は、可逆性のない隙間だ。その隙間のせいで、父親とは理解し会えないと結論づける、隙間に責任をなすりつけてしまう。隙間のせい。
これは自立なのだろうか。よく分からない。


幸せかって