神田古本まつりに行ってきたよ
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なんとなしに神保町に行っただけなので、今日、そういったイベントがあることは知らなかった。
新保町周辺のマップ、書店一覧や「神保町が好きだ!」という冊子を無料で熱心に配っており、イベントを盛り上げようという気概を感じたが、その内実は、屋外のワゴンセールってだけなのかしらね。
来客者もほとんどが外のワゴンをのぞく程度で、書店の中に入ろうとしていなかった。イベントによるリピーターは期待できないだろうな。
ま、古書店内に入っても店主は古本のような感じの方も多いので、なかなか新規のお客さんは増えないんだろうな。*1というより、古本を好きな人自体ニッチだからなかなか厳しいんだろうなと、かなり適当な雑感ですみません。
さて、既に書いた「神保町が好きだ!」という冊子。今回の古本まつりにあわせて創刊号を発行している。発行・編集は、「本の町・神保町を元気にする会」となっている。
冊子では、神保町にゆかりのある(?)ひと達に、三つの質問をしている。
Q1.神保町。私のお気に入りスポット
Q2.神保町・ここが嫌い
Q3.神保町に変わってほしいこと
よりよく町を改善するためにこういった質問をしたのかもしれないが、答える相手は記名であり、多少のリップサービスもするのだから、もう少し質問は練るべき。Q2の質問は完全に失敗。
案の定、かなりの回答者が「特になし」としている。ま、創刊号ということもあるので今後の巻を楽しみにしたい。
冊子の回答は、なかなか面白かったり、突っ込みどころ満載なので、興味あれば、ぜひ神保町でもらってきてください。
さて、せっかく匿名なのでかわりに僕がQ2.に回答させていただくなら、
トイレが見つからない、ちょっとした休憩用のスペースがない
トイレは、セブンイレブンに快く貸していただいたが、「いつものこと」というリアクションが濃厚だったので、おそらくここを使う方が多いのでしょうね。ちょっと考えて欲しいね。
と、ま、disってしまったけど、僕はまた神保町行こうと思いたくなるくらい楽しかったのでよろしくよろしくね。
*1:そもそもお客さんを増やしたいのかよくわらからない感じ
『岳』を読んで、遭難したら人生終わったなと
- 作者: 石塚真一
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2005/04/26
- メディア: コミック
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ネタバレしてますよ〜。というより読んだ人向け。
かいつまんで言っちゃえば、山岳遭難救助のボランティアをしている三歩(さんぽ)という主人公の男がおりなす、救助を通してのドラマ。
作者の石塚真一氏(作画スタッフは熊谷誠人氏)は、実際に長年、山登っていたみたいなので素人の僕が読むと、ところどころのディテールに関心する。
さておき、気になるところが描かれてないのね。あえて描いてないのでしょうけど。
それは、遭難者の捜索費用はいくらかかるのかと、ボランティアである三歩がどうやってメシ食ってるか。つまり、お金に関わる話。で、ちょっと調べてみた。
まずは、マンガ内で、わずかにそれらについて記述されている場面を挙げてみる。
捜索費用に関しての記述は、4巻第6歩「警鐘?」。遭難者を見つけた三歩は、警察がヘリを飛ばせないと知り、民間のヘリを頼む。散歩は遭難者に「ねえ、二人の救助ヘリ。ちょっとお金がかかるけど、いいかな?」と尋ねる場面があるだけ。
次に三歩君の稼ぎについての記述は、3巻第5歩「押し花」。クライミングジムでルートのセットアップをしている場面。くわしい記述はまったくないけど、これはボランティアというわけではなさそうなので、おそらくアルバイト。もうひとつは5巻第0歩「三歩の山」。デート中に高いワインを注文するのをためらう三歩に、ヒロインの久美が「ボランティアにも謝礼が出てるでしょ!!一件一件毎回。」と言うセリフ。
うーん、分からないね。
では実際、捜索費用とボランティアの収入はどうなっているのか。
救助ヘリの費用
警察のヘリが出動できれば無料。ただ、実質は
山での遭難救助の場合は特殊で、山の地理に詳しい民間のヘリコプターをチャーターしたり、地元の山岳会の方たちに捜索の助けをして貰う場合がほとんど
消防・防災ヘリは出動費用が税金ですから遭難者側の負担は消耗品程度の請求のみ。機内には救急車並みの医療器具も備えることが可能です。ただし公共のヘリコプターですから天候や山の遭難場所によっては無理に救助は行いませんし、山岳救助に長けた民間のパイロットのような高度な運転・収容・搬送技術が期待できません。怪我の症状が深刻で一刻も早い怪我人の搬送が望まれる場合は民間のヘリコプターに依頼するようになります。ということで、民間ヘリの料金。
八ヶ岳の山小屋などでは事故の一報が現場からもたらされると「民間ヘリしか呼ばない」と当事者や事故関係者に伝えるそうです。迅速に救助をするのならこれがベストだからでしょう。
遭難救助や捜索活動1時間あたりの額とあるが、これはおかしい。実際の目安は70万/時間ほどである。チャーター料と空輸料は重複しないはずだ*1。まあどちらにしても「ちょっと」じゃないよね。家庭がひっくり返ります。しかも、あくまで一時間単位の値段*2。
滞留・夜間滞留などを考慮しない場合でも、チャーター料+空輸料+スタンバイ料の合計で127万9,400円かかる計算になります。
ヘリを使わない場合の費用
上記サイトより拝借。
三歩くんはどうやって糊口をしのいでるのかという問いへの、ひとまずの答えも見つかった。
この中で、遭対協である三歩くんのふところに入るのは、隊員出動手当と(冬なら冬期危険手当と、もしかしたら指揮者手当)、そして謝礼。
ただ、この謝礼というのは関係者に支払われると記述されているので、もらえるとは限らない。このことから、久美の言う謝礼というのは、隊員出動手当と、同上者の冬期危険手当ではないだろうか*3。つまり一件30000円(+10000円)+α。実費込。北アルプスの年間の遭難件数が97件、一ヶ月あたり9件*4。全件救助したとしても27万〜36万+α。もちろんすべてに参加は不可能だから・・・
三歩が高級ワインを断ったのもうしょうがない*5。
親があのタイミングでいなくなったのは結果的によかったのではないかと思ってる
なにかと話題の岡田斗司夫。その後はどうなったか知らないけど、あの件は、親が商人の関西人のベタな行動だと考えると納得いくと思うのだけど。
さておき、 岡田 斗司夫 幻冬舎 2007-02
『フロン』
この前のラジオ収録以降、気になっていたので購入。これ衝撃的ですね。結婚生活について言及してるんだけど、はしょっちゃうと、夫を家族からリストラしろって言うのね。子育てにおいて責任、リーダーシップはすべて母親(場合によっちゃ父親でもいい)が持つと、そして理想の家族なんて幻想を排除して組織として認識することで、子育てという期限付きの仕事を遂行すると。で、すごいのは自分の家庭ですら、その理論に沿って、自分をリストラしちゃうんだねこの人。間違いなく意志の弱い人間であるわけないよね。『いつまでもデブと思うなよ』もそうだけど、淡々とメモを取るとか、家族は組織であるとか、あきらかにこの人のオタク的な気質に拠ってるよね。だから、レコーディングダイエットなんてある意味、論理的な方法、取れない人のほうが多いんじゃないのと俺は思ってます。
で、またわたくしごとなんですが、高校生の時に父が家族から追い出されたと。この本を読んで、結果的にあれでよかったんではないかと思った。父はこの本通りのベタな父親だった、つまり仕事で家にほとんどいないけど、リーダーであろうとしてた。ただ、しつけやマナーに関しては母親の子育てに全くそういう手段がなかったから、父から教わった。で、そういうとこだけかろうじてカバーしてくれた父が高校生でリストラ、僕にとって完璧だったんじゃないのかしら。
で、あくまで『フロン』に沿ってってるけど、リーダーがいなくなってしまった母親はどうしたかって言うと、一見、自分がリーダーになったかのように見せて、実は、その責任を子どもに押し付けてきたんだよね。僕は大丈夫だったけど、下の兄弟は堪らないよね。しつけの手段を全くといっていいほど、実行しないにもかかわらず、行動を求めるんだもの。
で、なんでこういうことを書いてるかっていうと、自己顕示ってのもあるにはあるけど、自分的には自己の相対化ってのと、社会的には多様性のひとつとして提示してるつもりなんですよ。
『そういう病気』 食人賞
腹が突然割れる。腹筋が割れるという意味じゃないよ。裂けるんだよ。そこから中身、つまり内臓やらの赤いものが見えるんだよ。
それは病気らしい。その話をしてくれた彼もなぜそうなるのか、詳しくは理解していないようだった。彼は腹を見せてくれた。それは盲腸の切除手術跡のようなものであった。
僕は信じた。なぜ信じたか。それは、同居人である彼を、心底、信じていたからだ。彼は、僕を救ってくれた。いきさつは誰にも話したことはないし、これからも誰にも話さない。僕も彼もお互いのことを完全に理解しあっていると僕は理解していた。彼は、僕にとって神のような存在だった。筋細胞が、秩序を保てなくなって裂けるのかな、と僕はなんとなしに理解しながら、あいづちをうった。
一緒に夕食をとっていたときの話だった。
その後、ウトウトしてきたので、電気をつけたまま仰向けに寝ていた。
突然、覚醒した。なにやら湿っている。シルクのパジャマは赤く染まっていた。すぐに先ほど彼から聞いた話を思い出したので、自分の身に降りかかったことに、別段、驚かなかった。それどころか、彼と同じ病気かと思うとうれしかった。僕の部屋は時計を置いてないし、黒いカーテンが閉まりきっていたので時間は分からない。
動いたらまずいな、と直感し、そしてゆっくりと理解していった。その場で様子を観察することにした。ゆっくりと頭だけを持ちあげ、腹を見る。パジャマのボタンをはずす。意外と吹き出るようなものでもないのだな。
自分の中身を見るというのは、自分を知るいい機会であるから、よく観察しておこうと思った。なぜそんなことを思ったかと問われても、僕の育った環境がそうさせたとしか言いようがない。それ以上は、彼とのいきさつを話さずには説明できないからだ。
まず、頭をベッドの背もたれにもたげて固定した。15cmくらいかな、綺麗に縦に裂けているが、ナイフで切り込んだようになってるため、中がよく見えない。ちょっと広げてみた。よく分からない。試しに取り出してみるか。いや、取り返しがつかなくなるな。今ならまだ間に合うな。でもいい機会だから、取り出してみようか。いい機会だから。
裂けた腹のところは直腸から小腸にかけた部分だ。彼の跡と大体同じとこが裂けてるな。うれしかった。
小腸って長いらしいよな、ちょっとだけなら取り出しても戻せるな。そう理解し、ちょっとだけ取り出してみた。
感触はさして感動するようなかものでもなかったし、目で見てもなんだかよく分からないだけだった。
ただ、それは元に戻せなかった。小腸って有機的なパズルみたいなんだなと理解した。どうやら取り返しがつかないみたいだ。せっかくだから、もう少し色々取り出してみようかと思ったが、取り出したときにたくさん出たらしく、もう力が入らなかった。
彼が僕の部屋に現れた。彼の輪郭は、ぼやけていた。だが、彼だ、分かる。彼は、取り返しのつかない僕の腹を呆然と、しかし静かに見ていた。
「取り返しがつかなくなってしまった。せっかく君が話をしてくれたのに。」
彼は、泣いていた。分かる。
「せっかくだからよく観察してくれよ。」
彼は首を縦に振った。
「それから、できるならバラバラでもいいから、キレイに保存して一緒にいさせてくれるとうれしいな。」
彼は首を横に振った。かすんでゆく目線を彼の指先に送ると、なにかを持っていた。
それは細長く、先がいくつかに分かれているようだ。光を反射してキラキラしていた。
「それ、キレイだね。」
彼はやっぱり僕のことをよく理解していたようだ。それでこうなったんだなと理解した。うれしかった。
僕は、彼にみとられるのを至上の幸福なんだと思うと、さらにうれしくなった。
シャガール展見てきたよ
上野の森美術館。あんまり美術館行くわけじゃないんだけどね。入り口でパンフレット買えるのがうれしかった。
気になった作品を見つけたらフロアの真ん中のイスでパンフレット参照して俯瞰で見て、忘れないように付箋貼る。女性ばっかだったので一際、奇異に映ったことでしょう。なんかパンフレットだけ一生懸命見てる人とかもいたけどね。
聖書勉強しないと楽しめないなと実感。せめて一度くらい読みます。
平日の朝一番に見てきたから、空いてたよ。土日しか休みのない人って悲惨だね。
学芸員っていう人とフロアごとに座ってる女性って違うみたいね。フロアごとに座ってる素人くさい人は学校の研修か、バイトでしょあれ。勘だけど。監視意外に存在の理由が見当たらないよね。人を見てないから、なんでも聞いてくださいって雰囲気まったくないしね。レジ打ちの人もカード切るの始めてみたいで戸惑ってて、レシートくださいって言ったら先輩ぽい人に確認してたし。美術館って、接客の研修ないのかしら。
じゃあ学芸員ってなによと思ったので。ちょっと長いけど。
学芸員(がくげいいん)とは、日本の博物館法に定められた、博物館(美術館・科学館・動物園・植物園なども含む)における専門的職員および、その職に就くための国家資格のことである。欧米の博物館・図書館・公文書館に置かれるキュレーター(curator)などに類似した職種であるが、それらと比べてはるかに低い権限しか与えられていないことが多い。
ふーん国家資格なのね。
美術分野における学芸員は、美術展の企画、所蔵品の選択、ワークショップなどの美術普及活動を行う専門的な職員である。しかし、実際には、人手不足の折、力仕事までこなす「何でも屋」になっているというのが実情という話もよく耳にする。通常、学芸員には、それぞれ、1つまたは複数の専門の分野があり、その専門分野は、その学芸員が所属している美術館等の企画や収集と極めて密接な関係にある。
たとえば、写真が専門である学芸員がいる美術館では、通常、写真作品の収集に力を入れており、また、写真の企画がなされる可能性も高い。ときどき、「何故、あの美術館であんな写真の企画がなされるのだろうか」と不思議なケースがあるが、それは、その美術館に、写真専門の学芸員がいる、ということがその理由であることが多い。逆に写真を専門とする、または、少なくとも、副次的に写真を専門とする学芸員がいない美術館では、写真の企画はまずなされない。なぜならば、写真を扱える担当者がいない美術館に写真作品を任せられるはずがないからである。
したがって、美術のある分野に興味があり、その分野について「強い」美術館を知るためには、その分野について専門の学芸員を知らねばならない。そして、そのような学芸員が所属している美術館こそ、その分野について「強い」美術館であるということが言える。
しかし、残念ながら、以上のような認識は、専門家か、一部の美術ファンにしかないため、学芸員の情報(どの美術館にどの分野を専門とする学芸員が所属しているかという情報)は、通常は存在せず、一般的に知る手段もない。
ふーん、なんか肩身狭そうだね。業界が内側に閉じてる感じ、蛸壺っていうのかしら。
集客が展示内容に拠るから、接客に力入れるって認識がないのかもね。接客できて、作品に対する知識ないといけないからね大変というか分業してみたらどうかな。スポーツクラブみたいに。
鈴木敏夫みたいなプロデューサーとかいないのかな。ちょっと知らな過ぎるからもちょっと調べます。